BRAND BELL(後編)
著者:shauna
翌日の午前10時・・・
肌を切り裂くほどではないものの、晩秋の空気は自然と体を強張らせるぐらいには冷たかった。空を見上げれば、雲ひとつないコバルトブルーの天球が広がっている。
そんな中で、有栖川瑛琶は八王子の駅前で一人静かに佇んでいた。
普段の制服姿とは異なり、紅葉色の厚手のワンピースに白のカーディガンを重ねたその姿は格式の高いお嬢様という言葉がピッタリと当てはまる程に美しい。
腕時計にスッと目をやる。待ち合わせ時間の10分前だった。
少し早く着き過ぎてしまったかもしれない。
というのも、夏音にそそのかされたとはいえ、実は瑛琶自身、昨日の昼休みから今日のことが楽しみにでたまらなかった。
だって・・・
はじめてのデート・・・
そんな言葉を思い浮かべるだけでも心が弾んでしまう。
しかも、その行き先が大型ショッピングモールなどもある複合型の遊園地だというのだから、自然とウキウキしてしまう。
瑛琶の家では父親が貿易商をしており、母がその秘書をしているため、幼い頃より家族で遊園地なんて機会すらまったくと言って良い程無かったし、瑛琶自身も普段仕事で疲れているであろう父や母にせっかくの休みを削ってまでどこかに連れて行けというのは忍びなかったので、積極的に提案しようとはしなかったのだ。
そして、本人もバイオリンばかり弾いて、コンクールばかり狙っていたため、友達と映画や遊園地に行ったことなど皆無だった。
そう・・・夏音が提案したのはただのデートなんかじゃない。貴重な友人と出かける機会でもあったのだ。
まあ、彼女がそこまで考えてくれているとは思わないけれど・・・そんなことは物理的にあり得ないけれど・・・。
「あ・・・有栖川先輩・・・。」
後ろから聞こえたそんな声に振り替える。そこに居たのは悠真だった。
黒のジーンズに青のパーカーという姿は普段の制服姿とは大分印象が異なり、なんとなく新鮮だった。
「おはよう。」
「おはようございます。」
2人は笑顔で挨拶を交わす。
「すいません。後輩の俺の方が後から来ちゃって・・・。」
「いえいえ・・・私も今来たところだから・・・。」
そんなお約束のやり取りの後、周りにまだ夏音が居ないのを確認して瑛琶は悠真に尋ねる。
「でも、よくこのデート受けたね・・・。紗綾ちゃんならわかるけど、今からデートするのあの科学狂よ?」
その一言に悠真は頭を?く。
「実は・・・承諾した覚えがないんですよね・・・。」
?・・・どういうことだろう?
「なんかあの科学きょ・・・じゃなかった部長から、体に良いからって薬草茶を無理矢理飲まされて・・・で、そのお茶すんごいマズくってしばらく気を失ってたんすけど、なんか目が覚めたら、部長がニコニコしてて・・・ひと通り文句言った後、『どうしたんですか?』って聞いたら、ICレコーダー再生して・・・いつのまにか『俺、泉悠真は明日、躑躅森夏音先輩に対してデートを申し込まさせていただきます。どうかよろしくお願いします。』っていう俺の肉声が・・・」
「・・・・・・」
言いきってもいい。これは脅迫うんぬんではない。間違いなく催眠詐欺という犯罪行為だ。
「で・・・俺が『嫌だ!!』って言ったら、『いいのかなぁ〜・・・そんなショックを今私に与えたら部長ったらショックで今のデートの申し込みをうっかり校内放送で流しちゃうかもしれないわよ〜』・・・って・・・」
・・・脅迫も入っていました。
「悠真君。あなたも大変ね・・・」
「まあ・・・お互いに・・・ですけどね・・・。」
ヤバい。彼とはなんとなく気が合う。被害者の会とか結成できそうだ。
「おっはよ〜。」
そんなやり取りを知ってか知らずか・・・まあ、噂すれば影ありみたいな感じで、夏音がやってきたため、会話は強制的に終了される。
「・・・何よ。」
2人の視線が自然と悪徳商法をした詐欺師を見るような眼になっていたため、夏音は必然的に嫌そうな声でそう反論した。
「「別に・・・」」
瑛琶と悠真はそっけなくそう言い返す。
「ごめん。待たせちゃって・・・」
そんな空気を一蹴するが如く、明が軽く走ってくる。
「明、遅い!!女の子を待たせるなんて甲斐性無し決定よ!!」
夏音の言葉に明は「ごめんごめん」と謝る。
「野球部休みだから、ちょっと自主トレしてて・・・軽く20km程走ってきたところだから。」
うん。それは軽くとは言わない。ハーフマラソンという。
「明。インフルエンザ流行ってるんだから、あんまり出歩いちゃだめだよ。」
瑛琶の忠告に明は「ゴメンゴメン。ついさ・・・」と弁解する。
「さて、ノロ気てる暇はないわよ。時間は有限。さっさと遊園地に移動するわよ。」
夏音の一言で3人はそれぞれに返事をし、さっさと券売機の所に行って切符を買う。
しかし、このとき、当然瑛琶の分は明が買ってくれたりするわけだが、隣を見ると、夏音が悠真の分まで買っているのには正直心臓が止まるかと思った。
何!!?また、なんか新しい策略考えてるの?と最初はどうしても思ってしまうが、よくよく考えてみると、彼女は自分の時も無理矢理どこかに連れて行こうとするときには必ずこういうチケットの類は用意してくれていたことに気が付く。
なんだ。意外といいとこあるじゃない。
それから、3人は電車に乗って一路、海岸沿いを目指す。
そして、着いた先は、神奈川は八景島の某有名遊園地だった。
あれだ・・日本語にすると八景島海楽園みたいな名前になるところだ。なんとなく、中国の偽ディズニーキャラ達や日本のアニメーションが満載の遊園地みたいな名前になってしまったが、ここは断じて違う。本物のレジャー施設。
太陽は高くなり、気候も段々と良くなってきていて、ポカポカと暖かく、海沿いということもあって、風が気持ちいい。
チケットを買って中に入り、まず、パンフレットを見て、瑛琶も明もはぁ〜と感銘を受ける。
「すごいね〜・・・今は水族館と遊園地って一緒になってるんだ。」
「ああ・・・それだけじゃなく、ショッピングセンターまで入ってるんだな。」
「あの・・・もしかして、2人はこういうトコ来るの初めてですか?」
悠真の言葉に2人が同時に頷く。
「って、明も!!」
こちらが驚いているのと同様に明も「瑛琶もか!?」と驚いていた。
「意外・・・明はこういうトコ割と来るかと思ってたから・・・」
「まあ、俺は小学校から少年野球やってたからな。基本的に出かけるって言うと、試合って意味合いが強かったんだよ。」
ということは・・・もし、2人で初めてのデートなんてしていたら・・・
きっと右も左も分らなかったんだろうな〜と落ち込んでいると、前を歩いていた夏音が自分にしか見えない角度で笑顔と親指を立てるジェスチャーを見せる。
まさか、これも見越して?
うわぁ・・・初めて夏音をいい子だと思ったよ。
時を同じくして、同じくパンフレットを見ていた悠真が静かに告げる。
「じゃあ、とりあえず、水族館か遊園地に行きましょうか?先に買い物済ませて荷物持ったまま園内ウロウロするのもアレですし・・・イルカのショーとかにはまだ時間がありそうですから・・・」
「うわ〜。悠真ったら仕切り屋だ!!!」
夏音がおちょくるが、悠真はため息をつくだけで、あえて文句を言うようなことはしない。
そうか・・・ついにあの夏音に慣れるという境地に達してしまったのか・・・可哀そうに・・・
「じゃあ、水族館の方先に行きましょうか?」
悠真の提案により、そういうことになった。
※ ※ ※
水族館のゾーンは確かにものすごかった。
少なくともこういう処に来たことない瑛琶や明にとっては・・・
色とりどりの魚やテレビでしか見たことないような魚。
確かに白クマやペンギンは見たことはあるが、最後に見たのは小学校の遠足以来で、今となってはフィルターが掛かって見られない映像である。
しかも、ここは水族館。南極地方にしかいないペンギンや多摩川でちょっと前に話題になった生物なんかも存在する。
何が言いたいかというと・・・まさか、皇帝ペンギンやアザラシが実物で見るとこんなに可愛いモノだなんて思わなかった。近所のチワワが霞んでしまいそうだ。
それに・・・
「後でぬいぐるみ買ってあげるよ。」
水槽内を目を輝かせながら見つめていた瑛琶に明が笑いながらそんなことを言うもんだから、さあ大変。
うわぁ〜・・・スゲー・・スゲーよ・・・デートってスゲーよ。
なんでいままでこういうことしようとしなかったんだろう。あぁ・・・もう、夏音様・・・なんだか観音様にすら聞こえる響きになってきたよ・・・。
そう思い、瑛琶は感謝と羨望の眼差しを自分たちより前を歩き、今は太平洋の水槽を見ている夏音に向ける。
「ねえ、悠真・・・あのアジおいしそうね・・・。ちょっと採ってきて・・・。」
「いやいや・・・水族館の魚に対してそういう感情を抱くのはどうかと思いますよ?」
「何言ってるの?魚なんて食べてなんぼでしょ。ましてや、毎日決まった量の餌を与えられてる水族館の魚なんておいしいに決まってるじゃない。大丈夫よ悠真。こんだけいるんだし、一匹ぐらい取ってきても分らないって。」
「無理です!!ってか何でそんな歪んだ考え方しかできないんですか?もっと別の方向に魚を有効活用しましょうよ!!」
「じゃあ、次の実験に使いたいから、あのエイを・・・」
「純粋に綺麗だとかそういう感想はないんですか!!?観賞用として活用するという考え方はないんですか!!?」
うん。前言撤回・・・いや、全言撤回。夏音はやっぱり悪魔だ・・・
ともあれ、そんな悠真と夏音はともかくとして、明と瑛琶は思う存分、初めての水族館を楽しんだ。
そして、舞台はパンフレットを持った悠真の奉行の元、丁度時間らしいイルカのショーに行くことになった。
当然、これも初めての経験である。
何をって・・・テレビとかではなく、本物のイルカを見つめるのがだ・・・。
ということは当然・・・
ヤバい・・・死ぬほど可愛い。
まさか、白イルカなんてものが居るなんてことを思ってもみなかった。
しかも、イルカはまだしも、シャチが芸をするなんて思ってもみなかった。テレビとかでみると、なんか氷の上にサバーって感じでのしかかり、アザラシを捕食しているイメージしかなかった瑛琶にとって、これはかなり新鮮かつ、シャチという生物の可愛さまで知ってしまった。
よく小学校の頃、友達に「私、いつかイルカと一緒に泳ぐのが夢なの〜」みたいな事を言っていた子がいたけど、今ならその理由がものすごいわかる。
私だって泳ぎたい。
まあ、そんな目を爛々と輝かせる瑛琶と同じく楽しそうにショーを見つめる明の横で・・・。
夏音は真剣な表情をする。
「・・・悠真・・・」
「なんですか?」
「今度、キメラの研究をしようと思ってるの・・・。」
「・・・なんですか唐突に・・・キメラってあの、複数の動物を繋ぎ合せて新たな動物を作ろうとかそんな試みのことですか?」
「その通りよ。」
「でも、それ今言うことですか?」
「・・・・・・悠真・・・」
「今度は何ですか?」
「・・・イルカって・・・可愛いわよね・・・。しかも、知能も高くって優秀よね?」
「このタイミングでそんな発言しないでください!!実験材料にするつもりみたいじゃないですか!!」
「・・・・・・フッ」
「なんですかその不敵かつ邪悪な笑みは!!!だめですよ!!アレはワシントン条約的にもダメですからね!!」
そう言って悠真あわてては立ち上がり・・・。
「はい。そこの青のパーカーのお兄さん!!」
飼育員に呼び止められた。
「・・・はい?」
まわりを見てみると、どうやら立っているのは自分だけらしい。
「勇敢にもアシカの闘魂注入ビンタに立候補頂きましてありがとうございます。いや〜・・・これ思いのほか痛くてだれもやろうとしないんですよ。なにしろ、相手は動物なので手加減というモノを知らなくって・・・あ!大丈夫です。いままで怪我したお客様は・・・・・・いませんから!!」
そんなもんは廃止になればいいと思う。・・・ってか“いませんから”を発言するまでの間は!?
ってかお客様ってことは多分、飼育員は怪我してんじゃねーか!!
「ではでは、お兄さんステージにどうぞ!!みなさん拍手でお迎えください!!」
・・・・・・
アシカのビンタは・・・
頚椎が軽くコキッと音を立てるぐらいに痛かった。
で、昼休憩。
パーク内のレストランで食事をとりながら・・・
「ぷ・・・くっく・・・」
「部長笑わないでください!!必死に噛み殺してるつもりかもしれませんけど、わかりますからね!!」
「だって・・・だって・・・水上生物にビンタされて悠真ったら『あふっ!!』って・・・声を上げて・・・・・・プッ・・・しかも、あの後・・・ちっちゃい女の子から・・・『ビンタのお兄ちゃんアシカさんとチューして楽しかった?』って・・・プッ・・・クックッ・・・」
「だ〜〜!!!もう!!!笑わないでください!!!ああっ!!もう!!有栖川先輩と楠木先輩まで!!」
「だ・・・だって・・・」
だって、舞台に上がった悠真の前にアシカが居て、飼育員が「元気ですかぁ〜!!行くぞ〜!!1,2,3!!ダー!!!」のダーの所でアシカが悠真にビンタして・・・
しかもそれが意外と鈍い音がして、会場内全体が爆笑した。しかも、その後、アシカにお詫びとか言われ、キスまでされちゃって、飼育員のお姉さんが「ファーストキス?」なんて聞くもんだから、さらに爆笑されて・・・。
「だ・・・大丈夫だって・・・誰にも言わないから・・・」
ああ・・・楠木先輩のそんな言葉がものすごく温かく感じる。
「・・・部長も黙っててくださいね。こんなこと知られたくありませんから・・・。」
「ワカッテルワヨ・・・悠真のファーストキスがアシカなんてそんな情報流さないって・・・」
「何で棒読みなんですか!!」
「大丈夫大丈夫。今の録音テープをお昼の校内放送で流したりしないから・・・。」
「するつもりですね!!するつもりなんですね!!!クソッ!!そんなことしたら俺不登校になりますからね!!」
「む〜・・・それは困るわね・・・。」
「え?」
それってつまり・・・
1、社会的責任の観点から
2、部活の後輩で友人が来ないのは寂しいから
3、その他
「薬の実験台が居なくなっちゃうわ・・・」
「その3か〜〜〜〜〜!!!!!!!!」
などと・・・そんなやり取りが延々続き、時間は午後の遊園地へと移る。
ジェットコースターにフリーフォールと・・・そこはまさに、誰もがイメージする遊園地だった。水族館があることもあって、海辺に作られているそれは程よい潮風となだらかに流れるBGMと共に聞こえてくる波の音がともに心地いい。
そんな中で4人が最初に選んだのは・・・
いや、訂正・・・選んでない。
夏音の「やっぱジェットコースターじゃない?」という声で半ば強制的に連れてこられたのは・・・
“マリン・ブルー”というコースターの前だった。
キャッチコピーは「世界初!!海中コースター!!!」
巡らされたレールは全て海に溶け込むような蒼で作られており、当然ながら一回転のループや急激なアップダウンもあるのだが・・・
あろうことか、途中からレールがない個所がある。いや、正確に言うと、透明なアクリルでできたチューブの中へつながっていると言ったほうが正しい。そして、そのチューブが向かう先はもちろん海中・・・。
しかもイルカの形をしたコースターが水中に飛び込むたびに多大なる水しぶきをあげていた。
えっ・・・
それが瑛琶の率直な意見だった。そして、その隣で明も同様にはぁ〜と口を開けて呆然としている。
それはなぜかというと・・・
注:この2人は遊園地に行ったことがありません。
すなわち・・・
こんなとこ来るのも初めてなら、ジェットコースターなんてマッスィーンもはじめてなのだ。
初めて乗るレベルがこれ・・・
説明終了。
でもって、まあ、その後の細かい精神のやり取りなんて誰も興味を抱かないであろう為、すっ飛ばし、乗った後を描くとすると・・・
「「はぁ〜〜〜〜〜〜〜」」
2人は海より深いため息を静かに口から吐き出した。
正直、ジェットコースターってこんなに怖いものだなんて知らなかった。
カタカタと昇った後、一気に下り、その後はもう身を任せるしかなかった。
右に揺られ、左に揺られ、長い髪の毛をバサバサさせながら、ラストのあの水中に飛び込むところ・・・
レールと海が同一色の為、飛び込む瞬間は本当に海に吸い込まれていくようであり、キャッチコピーの下に張ってある写真だと、海の中では魚が見えるらしいのだが、とてもそんなのを見ている余裕は無かった。しかも、一周して止まるかと思いきや、止まった途端に天井のルーレットが回転し、もれなくサービスの2週目突入。
アシカのビンタと同じく、あのルーレットシステムも廃止になればいいと思う。
ともかく、ゲンナリするほど疲れて、瑛琶と明は売店のベンチで炭酸飲料で気分の悪さを直しつつ、大きくため息をついていた。
そして、そんな2人の様子を気にすることもなく、夏音は相変わらず悠真を引き回しながらジェットコースター3週目に突入中らしい。
「ごめんね。明・・・こんなことにつき合わせちゃって・・・」
気分の悪そうな明に対し、瑛琶が申し訳なさそうに答える。
だが、そんな彼女に明はメロンソーダを飲みつつ、微笑み返し・・・
「・・・俺はすっげ〜楽しいけどな・・・」
そう言って瑛琶を宥める。
「俺、ホントにこういう所って来たことなくって・・・ほら、さっきも言ったけど小さい頃から野球ばっかやってたからさ・・・遊園地に遊びに行くなんて、恋人どころか、友達とだって来たことなかった。だから、今、ホントに楽しくって仕方がないんだよ?」
それを言うなら・・・
「私だって同じだよ。小さいころから親にバイオイリンばっかりやらされて、友達とお出かけって言ったら、初詣ぐらいだったもん。」
しばらくの沈黙の後、2人は恥ずかしそうに笑い合う。
「なんだか、似た者同士だな・・・俺たち・・・」
「そうだね・・・」
照れ隠しの笑いはいつしか、自然なモノへと変わっていた。
「な〜に恥ずかしいことしてくれちゃってんのかなぁ〜?」
そんな空気の中にいきなり夏音が姿を現したものだから、2人は慌てて顔を背ける。
うぅ〜・・・かなりいい雰囲気だったのに・・・。
見れば、不満そうに腰に手を当ててため息をつく夏音とその横で「まさか・・・全13ラウンドまであるなんて・・・」とか呟きながらぐったりとしている悠真の姿があった。
「そろそろ日も暮れてきたし、あんま遅くなると電車もバカみたいに混むからあと一つ、みんなで何か乗ってそろそろ帰ろうかと思うんだけど、どう?」
その意見に2人は頷く。
そして、舞台はいよいよ終盤・・・
夕暮れの観覧車へと突入するのだった。
海沿いということもあり、観覧車からは海に沈む、サンセットという言葉が最高に似合う夕日がゆっくりと地平線の向こう側へ沈んでいくのが見えた。
やわらかいオレンジ色の光が入り込む小さな15分限定の密室。
そんな中で瑛琶は・・・
何故か悠真と一緒に居た。
理由としては造作もないことだ。
夏音がただ乗るのではおもしろくないとかそんなことを勝手に言い出し、悠真も夏音と15分間密室に閉じ込められたら、何をされるかわからないということで、同意したため、結果としてクジ引きでペアが決まることになった故の結末だった。
ちなみに明と夏音は観覧車が混んでいたせいで、隣同士とはいかず、3つ程前の観覧車に乗っている。
まさか、手を出したりすることはないだろうけど・・・
う〜ん・・・不安だ・・・
「・・・有栖川先輩・・・。」
そんな中、悠真がほんのりと声をかける。
「・・・名前でいいよ。」
少し緊張しているのか、体を強張らせている悠真に瑛琶はやさしくそう申し出た。
「名字言いにくいでしょ。だから瑛琶でいいよ。」
「あっ・・・じゃあ、瑛琶先輩・・・。」
「なに?」
「・・・今日は本当にありがとうございました。部長と2人きりだったら、こんなに楽じゃなかったと思います。」
「楽じゃなかった?」
「ええ・・・なんていうか・・・精神的に・・・」
ああ・・・そういうこと・・・
「夏音の相手は疲れる?」
そう聞くと、悠真は小さくため息をつく。
「・・・少しだけ・・・部長って一年の時からああなんですか?」
「いいえ・・・一年の時はもう少し大人しかったかな〜・・・」
「そ・・・そうなんですか?」
驚く悠真に瑛琶が苦笑いする。
「一年の時から頭は抜群に良かった。特に理系科目は一回も勝てなかったな・・・良くって同点。でも、やっぱあんな性格だから、ちょっと変人扱いはされてたよ。でも、その変人度合いが加速したのは2年になってから・・・」
そう・・・夏音があそこまでなんというか・・・ハッちゃけるようになったのは2年のある日を境にだ・・・そう・・・あれは確か・・・悠真が科学研究部に入部したぐらいから・・・
「コース分けで私は文系に進んで、彼女は理系に進んだから、クラスは別れちゃったけど、それでもあの子の変人度合いはかなり伝わってきてた・・・。」
「そ・・・そんなにすごかったんですか?」
「まあね。科学研究部が有名になりだしたせいもあるんだろうけど、悪い噂も良い噂もたくさん聞くようになった。」
「ちなみに・・・どんな噂だったんですか?」
「いい噂は“夏音に頼めばどんな願いもかなえてもらえる”とか・・・」
「わ・・・悪いのは・・・」
「“頼んだら最後、魂を奪われる”とか・・・」
「悪魔みたいな扱いですね・・・」
苦笑いする悠真に「まあ、ある意味間違ってはいないでしょ?」と瑛琶も笑って返す。
「でも、頭は抜群に良いし、運動もできるし、容姿も淡麗。性格を除けばオールオッケーだから、本人は知らないけど、あれで結構モテてるんだよ?」
「そ!!そうなんですか!!」
「私も何度か告白の橋渡し頼まれたことあったし・・・ラブレターなんてホント何通渡したか・・・」
「そ・・・それで返事は?」
「“火鼠の皮衣”を持ってきてくれたら付き合ってあげてもいいわよ・・・だったかな・・・」
「かぐや姫ですか・・・あの人は・・・」
「まあ・・・ムチャ振りが好きって点では似てるかもね・・・。」
それを聞いて、悠真がまた苦笑いする。
「でも、いるんですかね・・・」
「火鼠?」
「いいえ・・・そうじゃなくって・・・その・・・部長に相応しい・・・部長を御することのできる男の人って・・・」
それを聞いて瑛琶はクスクスと笑った。
まったく・・・自分がその男の人に該当しているっていうのに・・・
どうやら悠真も相当に鈍いらしい・・・。
「何がおかしいんですか?」
首をかしげる悠真に瑛琶は「別に・・・」と返した。
「そういえば・・・」
「どうしたの?」
「恋話ついで・・・っていうのも変ですけど、瑛琶さんはなんで明先輩と付き合ったんですか?」
「えっ・・・」
その一言に瑛琶は少し固まってしまった。
「あ・・・いえ・・・その・・・なんとなく聞いてみたい程度なんですけど・・・」
慌てて悠真がフォローを入れる。まあ、彼だって健全な高校生だし、そういうのにもなんとなく興味があって勢いで言ってしまったのだろう。
だから、瑛琶は優しく微笑み・・・
「そうだね・・・仕方ない教えてあげよう・・・実はね・・・」
瑛琶はゆっくりとした口調で語りだした。
※ ※ ※
一方、時間は少し前後し、3つ前の観覧車。
夏音はそこで足を組み、窓枠に頬杖をつきながら明と対面していた。
「そういえば・・・」
と先に夏音が口を開く・・・
「始めてね・・・2人きりになるのって・・・」
「言われてみればそうだな・・・基本的に1年の時は瑛琶とか一樹とか真由とかも一緒だったし・・・純粋にこの組み合わせは初めてかもな・・・。」
「1年か・・・懐かしいわね・・・」
「最初は俺と夏音が仲良かったんだよな・・・」
「後、一樹ね・・・。ねえ、なんで私たち話とかするようになったんだっけ?」
「一年の時の宿泊研修だろ?俺と夏音と一樹が同じ班だったからじゃないか?」
「そうそう・・・それで休み時間になる度になんとなく話してたのよね・・・。で、あんたが瑛琶のことを気にし始めて・・・。」
「・・・ホント・・・そういうことは忘れないよな・・・お前・・・」
「私を誰だと思ってるの?で、私がなんとなく瑛琶をからかいだして、一樹が親戚の真由を連れてきて・・・仲良し5人組の完成ってわけね・・・。」
「1年の時はけっこう一緒に居たよな・・・。」
「そうね・・・2年の文理選択で大体みんなクラスバラけちゃったけど・・・」
「いや・・・バラけたのお前だけだから・・・他4人はみんな文系で同じクラスだから・・・」
「でも、話をする機会は減ったわよね・・・。」
「まあな・・・一樹は卓球部に専念しだしたし、真由はその卓球部のマネージャーやってるし、俺は野球部レギュラーになったし、瑛琶は大オケ研の主力になったし、夏音は科学研究部で悠真とイチャつきだしたし・・・」
ゴッ!!!
「誰がいちゃついてるって〜?だ・れ・が!!!」
「ちょっ!!待て!!!暴力は良くないって!!!」
「大体、悠真は私の実験材料なの!!好きとかそういうんじゃ・・・」
「・・・夏音・・・」
「何よ。」
「今の”好きとかそういうんじゃ”ってのの最初に“別に”を躊躇って言うのと、最後に“ないんだからね!!”を追加し・・・」
ゴッ!!
「誰がツンデレか!!誰が!!!」
「お前の他に誰が・・・すみません。なんでもありません。」
夏音が再び拳を振り上げたのを確認して、明はおとなしく引き下がることにする。
ってか女の子がグーで人を殴るか?いってもパーて平手打ちだろ・・・
夏音は怒りを鎮め、観覧車のシートに足と腕を組み座ると、ムスッとした表情で言い返し出す。
「大体、イチャついてんのはむしろあんたでしょ!!瑛琶とトコロ構わずイチャついて・・・」
「いや・・・人前で手を繋ぐとかそういうのは恥ずかしいからしないし・・・つまりトコロ構わずというわけでは・・・」
「百物語した時もそうだったじゃない。どうせ、瑛琶が出てってそれを追いかけた後も、2人きりで暗闇なのを良いことに、イチャついたんでしょ?」
「・・・・・・」
「図星かよ!?」
はい、図星です言い返せません。
「・・・・・・ねえ、明・・・」
「なんだよ・・・急にしおらしい声なんて出しやがって・・・」
「あなたと瑛琶ってさ・・・なんで付き合ってるの?」
「は?」
その質問に、明は素っ頓狂な声を上げた。
「だってさ・・・普通だったら考えられないでしょ? 明・・・瑛琶ってどんな女の子だか言ってごらん。」
「あ〜・・えっとだな〜」
必死に瑛琶の校内での評価を思い出す。
「綺麗で可愛くって・・・でバイオリンの天才で、学業成績は常にトップクラス。その上、体が弱くって・・・まあ、ハッキリ言えば、深窓の令嬢だよな・・・」
「そう・・・その通りよ。」
「で・・・それが何か?」
「・・・そんな超モテる女の子がなんで野球部の補欠キャッチャーなんかと付き合うかな!!」
orz……
「だって瑛琶には選択肢いくらでもあったのよ!!野球部のエースピッチャーからもサッカー部のエースストライカーからもバスケ部のエースからも、卓球部の顧問からも声をかけられてたのよ!!」
「おかしい!!一つおかしいのが混じってる!!一つだけ犯罪がある!!」
クソッ・・・まさか、去年やめた卓球部の顧問の先公そんなことしてやがったのか!!
「でも、それを全部断って、あの子はあなたを選んだ。なんで?」
「・・・・・・」
その質問に明はしばし腕組みをして考える。
そして出た結論は・・・
「なんでだろ・・・」
うん・・・そんなのいくら考えても分からないと思う。
分かったら凄いと思う・・・
しかし、その答えに納得のいかない夏音は「まったく・・・」と言って腕組みをしながらムスッとした表情で外の景色を見つめだした。
「・・・なあ、夏音・・・夏音はその理由・・・知ってんのか?」
「知ってたら、どうすると思う?」
「・・・いじるな・・・」
でも、彼女は今、自分のことをイジろうとはしない・・・つまりは知らないのだ。その理由を・・・
だからこそ気になっているのだろう・・・
だって、これは・・・応用的に言えば・・・自分の立場を明に置き換えるなら・・・
“彩綾と夏音が居る中で、どうやったら悠真に選んでもらえるのか・・・”
ということにつながるのだから・・・
「じゃあ、逆に聞くわ・・・」
と夏音は話題を転回させた。
「明・・・あなた・・・なんで瑛琶に惚れたの?」
明の顔が一気に赤くなる。
「な・・・そんなこと・・・」
「少なくとも一目惚れ・・・ってだけじゃないわよね?」
「・・・・・・」
タップリの間をおいて、細い声で明が答える・・・。
「ま・・・まあ・・・」
「その辺もう少し詳しく話してくれない?」
「・・・まあ、いいか・・・実はな・・・」
明は淡々と思い出話を語りだした。
※ ※ ※
「あれは・・・確か・・・まだ小学生の頃だったかしら・・・」
瑛琶が淡々と悠真に向かって語りだす。
「当時、私の居た小学校は私立の・・・まあ、言ってしまえばお嬢様学校だったの・・・」
「えっと・・・確か、瑛琶さんって中学の時にこっちに転校してきたって聞きましたけど・・・」
「うん・・・そう。それまでは神戸にいたの・・・」
「ってことは・・・これはその神戸時代のお話ですか?」
それに瑛琶は頷いた。
「でね・・・当時私・・・クラスでいじめられてたのよ・・・」
それはあまりにも意外な告白だった。
「え・・・本当に?」
「うん・・・少なくとも小学校卒業まではね・・・今でこそコンタクトだけど、昔は私、メガネちゃんだったから・・・それに前髪も長くしてて・・・まるでちょっとした貞子みたいな感じだったの・・・それで、クラス中・・・いいえ・・・学校中かもしれないわ・・・とにかく“気持ち悪い気持ち悪い”って言われてて・・・まあ、中学卒業して東京に来るときに一番苛めてた子にその理由聞いたら、『優等生でムカつくから』って笑ってたけど・・・確かに・・・優等生が脱落してコケるのはおもしろいわよね・・・まあ、中学に上がってからは眼鏡も変えて前髪も切ってイメチェンしたから全然そんなことはなくなったんだけど・・・」
なんだろう・・・ものすごい怒りが込み上げてきた・・・
ものすごい腹が立つ・・・
こんなに綺麗で優しい瑛琶さんを・・・そんな理由で陥れるなんて・・・
「でね・・・そんな小学校6年生のある日にね・・・遠足があったの・・・奈良へのバス遠足だった・・・」
「へ〜・・・やっぱそういう遠足とかってどこでもあるんですね・・・」
かくいう俺もプラネタリウムとかバス遠足で行ったことあるし・・・
「で・・・あれは東大寺だったかな・・・知ってる?あそこの前、鹿がたくさん居るの・・・」
悠真が頷いた。
「行ったことあります。」
中学の修学旅行で・・・
「あれってさ・・・怖くない?」
その言葉に悠真は勢いよく頷いた。
そう・・・あの鹿は・・・凶暴だ・・・
鹿せんべいを持っていようものなら即座に群がりおそいかかってくる・・・
服は噛まれるし、鞄は噛まれるし・・・ときには鹿にタックルされたりもする・・・
鹿が可愛くないことを知る洗礼の儀式だ・・・
「しかも、私って・・・なんか動物とかに追い回されやすいわけ・・・」
・・・あ〜・・・
あれですね・・・動物園の触れ合いコーナーとか入った途端に雄の山羊とか羊とかに追い回されるタイプなんですね。
それで鹿公園は・・・
あ〜・・・うん・・・死ねる・・・
「まあ、詳細は省くけど・・・かなりこっぴどく追い回された・・・」
「・・・でしょうね・・・」
容易に想像がつきます。
「でもね・・・そんな時・・・一人の男の子が手を引いて一緒に逃げてくれたの・・・」
え・・・
「嬉しかったな〜・・・小学校女子校な上に私友達って呼べる人いなかったから・・・なのに、いきなり来て手を引いて“境内の中なら鹿入ってこないよ!!“なんて言ってくれるもんだから・・・正直心臓のドキドキが止まらなかったよ・・・」
・・・まさか・・・
「その男の子って・・・」
その質問に瑛琶はニッコリと微笑んだ。
「あの時・・・あの子が背負っていたスポーツバックのネームタグ・・・あの名前・・・いまでも覚えてるよ・・・」
※ ※ ※
「小学校の修学旅行で行った奈良で・・・偶然鹿に追い回されてる女の子を見つけて・・・助けなきゃって思って・・・それで助けにね・・・」
話を聞いた夏音が静かに頷いた。
「ウブなあなたにしてはやるじゃない。」
からかう様な夏音の言葉に明はポリポリと頭を掻きながら恥ずかしがる。
「まあ・・・なんか着いて・・・で・・・みんながトイレ行ってる間に、一人で先に境内に行こうとしてたら・・・なんか10頭ぐらいの鹿に追い回されてる女の子がいて・・・で・・・なんとかしなきゃって思って・・・ほら・・・足の速い人に手を引いてもらうと、少し速く走れるでしょ?だから・・・当時から野球バカだったから、ちっとは足速くてさ・・・だから手を引いて逃げちゃったわけよ・・・」
「ふ〜ん・・・でも、それがよく瑛琶だって、わかったわね・・・」
「黒いナップサックに書いてあった名前・・・珍しい名前だったから、絶対忘れないよ・・・“てるは”なんてさ・・・しかも名字は“ありすがわ”だし・・・でまあ、汗かいて前髪掻きあげて眼鏡取ったらものすごい可愛くって、ついつい一目ぼれして・・・」
「それで、中学校3年間、悶々と過ごしてきたわけだ・・・」
「・・・」
否定はしないけど、その言い方は・・・
「で・・・次に会ったのは・・・会えるとも思わなかったこの彩桜の高等部だった・・・」
※ ※ ※
「一年生の時のクラス分けの名簿見て、もうびっくり・・・まさか、同じクラスなんて・・・一応同姓同名かもしれないと思って、本人に会うまでは期待しなかったんだけど・・・もう全然・・あの時の男の子が成長したらこんな風になるんだろうな〜って感じで・・・」
「で・・・それからなんとなく気になってたと・・・」
「そういうこと・・・」
「・・・じゃあ、ずっと・・・それこそ野球部エースの木村先輩とか、サッカー部エースの中田先輩とかバスケ部の楓先輩とかに声をかけられても断ってたのって・・・」
「そう・・・ずっと明を待ってたんだよ。後一ヶ月告白してくれなかったら、むしろ私から行こうと思ってたし・・・」
「・・・・・・」
「でも・・・まあ・・・きっと・・・」
沈みゆく夕陽をみながら、瑛琶が幸せそうに言葉を紡ぐ。
※ ※ ※
「瑛琶がいろんな人からの告白を断り続けてるって知って・・・きっと、男にはあんまり興味ないし、彼氏も欲しくないって思ってると思ったんだ・・・俺は。」
「・・・・・・」
「だから・・・どうせフラれるなら当たって砕けろって・・・俺、馬鹿だからモジモジした感じてどうにも苦手で・・・でも、告白したら意外や意外で・・・」
「瑛琶がOKしたと・・・」
「・・・『はい。喜んで・・・』って言われた時には心臓止まるかとおもったよ・・・」
「・・・・・・で、その後で、鹿の話をしてさらに仲良くか・・・」
「いや・・・してないよ。」
その言葉に夏音は目を見開く。
「してないって・・・」
「うん・・・一切してない・・・だってさ・・・所詮昔の話だし・・・それに・・・」
3つズレたそれぞれのゴンドラの中・・・しかしながら・・・その時・・・その瞬間・・・その刹那・・・
2人は寸分の狂いもなく・・・同じ言葉を綴った・・・
「明はもう覚えてないだろうし・・・」
「瑛琶はもう覚えてないって・・・」
それを見て、夏音は静かに明に・・・悠真は静かに瑛琶に・・・
これもまた、まったく同時に言う。
「きっと覚えてるわよ」
「きっと覚えてますって・・・」
夕暮れの観覧車の中・・・
そこで繋がった思いは・・・
たった一つでは・・・なかったのかもしれない。
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